飯豊和気神社(八雲神社)概要: 飯豊和気神社は福島県郡山市三穂田町下守屋字飯森山(妙見山の山頂)に鎮座している神社で、神亀元年(724)に妙見山(標高:778m)の山頂に創建したと伝えられています。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載された式内社飯豊和気神社の論社で、これが正しければ寛平9年(897)には正五位上、文禄2年(1593)には正一位に列するなど古くから格式が高い神社だった事になります。
歴代領主からも信仰が厚く、寛永13年(1636)に火災により社殿、社宝、記録などが焼失すると、会津藩(藩庁:鶴ヶ城)の藩主加藤明成により社殿が再建され、神領2百石、神子領20石が寄進され当時の会津城城主だった加藤家や二本松城主丹羽家から庇護され、社殿の造営や社地が寄進されています。
寛永20年(1643)に加藤明成が改易になると飯豊和気神社の境内地は二本松藩(藩庁:二本松城)領に属するようになり、社領などが一旦廃止されます。
その後は二本松藩主丹羽家の祈願所として庇護され、藩主の代参が安積郡内の神官全員と共に妙見山に登拝し飯豊和気神社にて五穀豊穣、悪疫退散の祈祷が行われました。妙見山は標高778mとあまり大きな山とは言えませんが、山姿や山頂付近に数千の発光体が光るといった自然現象があり、古くから霊山として信仰されていたと思われます。
写真に写っているのが八雲神社(福島県郡山市三穂田町下守屋字上豊舘・祭神:素盞嗚命・拝殿:木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行3間、張間2間半、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り)で、その左側に飯豊和気神社(祭神:御饌津神)の遥拝殿が鎮座しています。境内には八雲神社社殿前に、夫婦杉と呼ばれる巨木が立ち独特な空間をかもし出しています。
飯豊和気神社:上空画像
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