宇迦神社(棚倉町)概要: 宇迦神社は福島県東白川郡棚倉町棚倉馬場に鎮座している神社です。宇迦神社は案内板によると「成務天皇の御代、塩伊野己自直が白河の国造に任ぜられた際、土地をひらくために、倉稲魂命を飯沼(今の大清水)の近くに地を選んで御祭り申し上げました。その起源は神亀年間(714)当時飯野村(現福井)に宇迦明神を祀ったのが御創立であり、それ以後御神徳により、地方に住民盆し、土地は立派になり、幸福平和の代がつづきました。
戦乱続いた足利時代の末、立花宗茂がこの地方を治めることになって赤館を根城とするに及び、現在の鹿の子山にお移し申し上げお宮を立派に建て替えて厚く尊崇しました。後、徳川の代になり、代々の領主は御領内惣産土神宇迦大明神と申上げ、藩主初めて着任の時は先づ参詣、厚く祈願をこめ、毎年例祭は勿論、正月、5月、9月には吉日を選んで直参又は代参をせられ、其の他臨時に参詣せられ、毎度奉行所記録には特に滞りなく相済み申候と大書してあります。
又御国替の時は代々燈籠や其他の物を献納して御礼の記念とせられました。御供米や、神田、山林等も代々奉られていたこと、臨時に御供金を奉られたこと等種々、井上文書には数えきれぬ程記録されてあります。歴代藩主の中でも、内藤紀伊守弐信は、別して尊信あつく、元禄14年(1701)非常な大金をかけて社殿をお建替申上げました。代々の藩主が、か様に崇敬の範を示されたので、社川、久慈川流域の住民は挙って崇敬、神恩に浴して来ました。・・・(後略)」とあります。
宇迦神社は古くから神仏習合していましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され明治6年(1873)に村社、昭和16年(1941)に県社に列しました。
随身門(神社山門:旧仁王門で現在でも仁王像が安置)は入母屋、銅板葺、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚単層門、外壁は真壁造り板張り、正面中央には「鹿子山」の山号額が掲げられ、正面左右には随身像、背面には仁王像が安置されてます。
宇迦神社社殿は元禄14年(1701)に棚倉藩の藩主内藤弌信が再建したもので、拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行5間、梁間3間、正面唐破風向拝付、外壁は真壁造り板張り(向拝のみ朱色と一部白色で仕上げられています)、正面中央には「宇迦神社」の社号額が掲げられています。
本殿は三間社流造、銅瓦棒葺、外壁は真壁造り板張り木部朱塗り。境内には歴代棚倉藩(藩庁:棚倉城)の藩主(松平康爵、小笠原長昌、小笠原長堯など)が奉納した石灯籠が建立するなど荘厳な雰囲気が感じられます。祭神:倉稲魂命。
宇迦神社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(由緒)-宇迦神社
・ 現地案内板(石燈篭)-宇迦神社・宇迦神社奉賛会・新町組・い組
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