子安観音堂(西郷村)概要: 案内板によると「延久3年(1071年)ある春の日、小田新田村(現下新田)を開いたといわれる。安房之助という人が霊夢のお告げにより、北流する川の渕から如意輪観音の霊像を拾いあげ、堂宇を建てこれを安置した。再び夢枕に「もし女人が我を敬恭供養するならそのものに安産を得させよう。」とお告げがあった。これを信仰して利益を受けるものは数知れず、その霊夢が次第に四方に響き渡り、多くの善男善女がこれに帰依し子安観音とされたという。一方この観音堂は、城主及び家中の信仰厚く、寛保元年(1741年)白河城主松平明矩公(旧名義和)が姫路に国替えの際、白河市四谷の森厳寺の薬師堂を賜り精舎としてここに移したと伝えられている。またこのお堂は、向拝・唐破風・入母屋・木造・トタン葺きで、戊辰の戦火にあわなかったために堂内は昔のままで、格天井には絵画が施してある。本堂の大きさは三間×三間で、四周二尺五寸の回廊がぐるりとついている。本尊仏は如意輪観音で、右膝を立てて首をかしげ、右手で頬を押さえている(思惟相という)ので、ムシバ観音とも呼ばれている。 西郷村教育委員会」とあります。
子安観音堂は江戸時代中期の御堂建築の遺構として貴重な事から平成4年(1992)に西郷村指定文化財に指定されています。
子安観音堂:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-西郷村教育委員会
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