相馬中村神社概要: 相馬中村神社は福島県相馬市中村字北町(旧中村城跡)に鎮座している神社です。相馬中村神社は案内板によると「 当神社は、相馬地方の旧藩主・相馬家と深いつながりある神社でありまして、社伝によると承平年間(931〜937)に奥州相馬氏の先祖・平将門が下総国(現在の千葉県)に妙見宮を創建したことにはじまります。奥州相馬氏初代師常公は先祖にならい下総国相馬郡に妙見宮を祀り、「平泉の役」の戦功により本領のほか陸奥国行方郡を与えられました。6代重胤公の時代、元亨3年(1323)になり相馬氏は一族郎党83騎を従え、それまでの本拠地・鎌倉下総の国流山からはじめて行方郡に移ってまいりました。この時、神社の祠官・田代左衛門大夫信盛も鎮守妙見の神輿に遷従し、重胤に同行したのです。妙見信仰の崇拝者でありました相馬氏は初めての居住地であった太田(福島県原町市)から建武3年(1336)に小高城(福島県相馬郡小高町)に居城を移した際も、またその後、17代利胤公が慶長16年(1611)に中村城に移り住んだ際も、その城内に妙見宮をお祀りしました。この中村城内に祀られました妙見宮が現在の相馬中村神社でして、中村城域(別名馬陵城)は現在県指定の史跡となっております。このように当神社は相馬家代々の氏神として崇敬とくに厚かったばかりでなく、その信仰は相馬地方に広がり、今日にいたっております。」とあります。
中村藩の藩主である相馬氏と妙見信仰の繋がりは強く、当初の本拠地だった別所館(福島県南相馬市太田)には相馬太田神社、その次の本拠地である小高城(福島県南相馬市小高)には相馬小高神社がそれぞれ勧請され、当社を含め相馬三妙見社と呼ばれています。
例祭である相馬野馬追は相馬三妙見社の合同で行われる例祭で、毎年7月23日は「お繰出し」と呼ばれる出陣式が相馬中村神社、24日の野馬追(お行列・甲冑競馬・神旗争奪戦)が雲雀ヶ原祭場地(福島県南相馬市原町区:相馬太田神社の鎮座地付近)、25日の野馬懸が相馬小高神社が会場となります。祭神:天之御中主神(妙見菩薩)。
相馬中村神社本殿は寛永20年(1643)に造営されたもので、一間社流造、こけら葺、外壁は真壁造り板張り、四周浜縁、高欄付き、彫刻部極彩色仕上げ。拝殿は寛永20年(1643)に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、こけら葺き、平入、桁行5間、梁間2間、正面1間軒唐破風向拝付き、外壁は真壁造り板張り。
幣殿は寛永20年(1643)に造営されたもので、両下造、こけら葺き、桁行3間、梁間1間、外壁は真壁造り板張り。相馬中村神社本殿、拝殿、幣殿は江戸時代初期の社殿建築の遺構として大変貴重な事から昭和58年(1983)に国指定重要文化財に指定されています。
相馬中村神社と中村城(妙見曲輪)概要: 案内板によると「西二ノ丸の一角にあって藩主相馬氏の氏神である「妙見」を祀ったところを特に妙見曲輪と言い、相馬氏の居城には必ず設けられた。中村城内の妙見社(現相馬中村神社・国指定重要文化財)は、1643(寛永20)年に建てられた相馬地方最古の神社建造物であり、権現造りの社殿は、全体的に簡素な意匠であるが、木割は太く力強く屋根はこけら葺である。 相馬市教育委員会」とあります。中村城跡は貴重な事から昭和30年(1955)に福島県指定史跡に指定されています。
相馬中村神社の文化財
・ 拝殿-寛永20年-入母屋,こけら葺,桁行5間,梁間2,唐破風向拝-国指定重要文化財
・ 幣殿-寛永20年-両下造,こけら葺,桁行3間,梁間1間-国指定重要文化財
・ 本殿-寛永20年-一間社流造,こけら葺-国指定重要文化財
・ 相馬野馬追-7月23日-出陣式-国指定重要無形民俗文化財
・ 境内全域-中村城跡-23ha-福島県指定史跡
・ 神輿-伝:五代藩主相馬昌胤の奉納-相馬市指定文化財
・ 親子杉-推定樹齢600年,幹周6.5m-相馬市指定天然記念物
相馬中村神社:上空画像
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