圓福寺(福島県下郷町楢原)

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楢原宿(会津西街道・圓福寺)
【 圓福寺 】−圓福寺(福島県下郷町)は平安時代の嘉祥元年(848)、高僧として知られた慈覚大師円仁によって創建されたと伝わる古寺です。戦国時代には鴫山城の城主長沼家の家臣で、圓福寺の裏手の築かれた小平城(楢原村館)の城主星玄蕃が菩提寺として庇護し、境内には墓碑が建立されています。天正18年(1590)に長沼氏が没落すると星玄蕃はそのまま楢原郷に土着したようで、その後、郷頭となり、後裔と思われる大竹玄蕃は会津藩に従いっています。大竹玄蕃は怪力の持ち主として知られ、様々な逸話があり、お手玉として遊んだと伝わる「へいほう石」が楢原宿に残され、圓福寺の境内には墓碑(一誉道教居士)、本堂には過去帳(戒名:道教禅定門)が伝わっています。江戸時代に入ると、会津西街道(下野街道)が開削され楢原宿が成立すると、宿場の中心的な存在となり、寛永17年(1640)に会津藩に提出する町割図(楢原宿古絵図:下郷町指定文化財)が製作されると、その控えが圓福寺に収められています。又、会津城(福島県会津若松市)の城内に境内を構えた延寿寺の末寺だった事から、明治維新後に会津城が廃城となり、神仏分離令などで延寿寺が廃寺になると、延寿寺の寺宝だった木版無量義経(松平下野守寄進・下郷町指定文化財)、紙本著色胎蔵金剛両界曼荼羅(蒲生忠郷寄進・下郷町指定文化財)が圓福寺に遷されています。境内には大木が多く、中でも大ケヤキ(推定樹齢550年、樹高31m、幹周6m、科名ニレ、樹種ケヤキ)とシャクナゲ(推定樹齢170年、樹高3m、幹周1.2m、科名シャクナゲ、樹種アズマシャクナゲ)が昭和58年(1983)に福島県指定緑の文化財に指定されています。 福島百八地蔵尊第22番札所(札所本尊:かさ地蔵)。宗派:天台宗山門派。本尊:阿弥陀如来三尊(明和7年:1770年以前の本尊だった木造聖観世音菩薩像は南北朝時代作、像高87cm、下郷町指定文化財)。
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