堂山王子神社

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概要・歴史・観光・見所
堂山王子神社(田村市)概要: 堂山王子神社は福島県田村市船引町大字門沢字堂山に鎮座している神社で、坂上田村麻呂(征夷大将軍、鎮守府将軍)が創建したと伝えられています。伝承によると延暦20年(801)、坂上田村麻呂が賊徒(大多鬼丸)に苦戦を強いられると、門沢山の御堂に六観音を勧請し戦勝祈願をしたところ、見事念願成就し賊徒(大多鬼丸)を討つ事が出来ました。坂上田村麻呂は、東夷東征が完遂した大同2年(807)に神意への感謝と戦で犠牲になった家臣や民衆、軍馬などの御霊を弔う為に御堂を造営し六観音の内の准胝観世音を本尊として祀ったと伝えられています。古くから神仏習合していましたが明治初頭に発令された神仏分離令後に龍頭山堂山寺(宗派:真言宗)を廃して王子権現を観音堂に勧請し明治3年(1870)に改めて社号を「堂山王子神社」に改め神社として独立しています。

堂山王子神社の社殿は当時のものを踏襲していて、境内には仁王門や鐘撞堂などあり寺院形式が見られ、境内背後には龍頭山堂山寺の鎮守社だったと思われる白山比め神社が鎮座しています。堂山王子神社仁王門(神門)は江戸時代後期の文化2年(1805)に造営されたもので、切妻、銅板葺、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚単層門、外壁は真壁造り板張り、内部には仁王像(右側は青色の吽形像・左側は青色の阿形像)と白色の神馬が安置、正面中央には「堂山王子神社」の社号額が掲げられています。鐘撞堂は木造平屋建て、切妻、桟瓦葺、外壁は柱のみの吹き放し、中央には梵鐘が吊り下げられています。

堂山王子神社本殿は堂山寺の観音堂として建てられたもので、解体修理中に発見された順札納札に明応7年(1498)の銘があった事から室町時代中期頃に造営されたと推定されています。本殿は木造平屋建て、寄棟、銅板葺き、平入、桁行5間、張間4間、外壁は真壁造り板張り、丸柱、正面柱間建具嵌め込み、正面中央には「観世音」の扁額が掲げられ、仏教色が強い鰐口が吊り下げられています。大正6年(1917)に国指定重要文化財に指定されています。

堂山王子神社本殿は案内板によると「桁行5間、梁間4間、一重寄棟造、茅葺型銅板葺、この本殿は、もとは堂山寺の別当観音堂でしたが、明治3年、神社に改められました。建立年次および沿革は明らかではありませんが、昭和40年10月から昭和45年6月までの解体修理で発見された順札納札に明応7年(1498)の記があり、建物の様式上からも室町時代中期の手法を示しており、明応以前の建立と考えられます。建物構造の特徴として、内外陣柱の繋虹梁の大斗・肘木・小斗の斗?・虹梁の腹まで出た大瓶束の下部のくり形の曲線などに、すぐれた技法が見られます。附の棟札8枚は、また、飛龍寺に保存されている市指定文化財の棟札には、修復貞享5年(1688)の記があり堂山王子神社本殿の修覆を伝える資料の中で最も古いものです。」とあります。

又、社宝の「堂山王子神社順礼納札」は明応7年(1498)に陸奥国田村荘船引にあった正覚寺の僧侶である禅心が仙道三十三観音霊場を巡礼し札所だった堂山寺観音堂に札打ちしたもので、縦95.2cm、横26.3cm、厚さ1.5cm、現存する東北地方最古の順礼納札として貴重な事から平成9年(1997)に福島県指定重要文化財(歴史資料)に指定されています。寛文年間(1661〜1673年)に奉納された絵馬(神馬の図)は制作年がえ明確なものとしては2番目の古さを誇り貴重な事から平成17年(2005)に田村市指定有形民俗文化財に指定されています。仙道三十三観音霊場第7番札所(札所本尊:準胝観世音菩薩・御詠歌:暮れにきと 風こそ 鎮め 雲たつる 堂山寺の 鐘のひびきに)。祭神:国狭槌之命、雅産霊之命。

堂山王子神社(本殿・仁王門):写真

堂山王子神社
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