綱木宿:歴史・概要

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概要・歴史・観光・見所

綱木宿(越後街道)概要: 綱木宿(新潟県阿賀町)は越後街道(会津街道)の宿場町で嘉永5年(1852)には友情を優先した為に長州藩を脱藩し東北遊学を行った吉田松陰が難所である諏訪峠を越えて綱木宿の「山城屋」に宮部鼎蔵(熊本藩士、元治元年:1864年、所謂池田屋事件で新撰組に襲撃され自刃、享年45歳。)と共に宿泊しています。

文化11年(1814)には江戸時代後期の大衆作家で絵師の十返舎一九も綱木宿の「山形屋」に宿泊し、宿で働く女性に冗談で口説くと、女性は真剣に腹を立てた事がユニークに描かれています。

戊辰戦争の際には慶応4年(1868)7月から隣の赤谷宿で新政府軍に転じた新発田藩(本城:新発田城)と交戦状態となり、当初は会津軍が優勢に進めていたものの、新政府軍の援軍が着陣すると一気に不利になり8月15日には綱木宿まで退却しています。

その後、諏訪峠を越えて津川宿まで後退しています。この戦いで綱木宿は大きな被害を受け多くの建物が焼失し、その後も度重なる水害などで当時の建物は失われ「綱木一里塚」も流されています。

新発田市滝谷にある大慶寺(曹洞宗・山号:鶏谷山・本尊:愛宕地蔵尊)境内には戊辰戦争で戦死した会津兵が19名が葬られ「戊辰役殉難者の碑」が建立されています。鎮守と思われる七社神社の創建は延宝3年(1675)に勧請されたのが始まりとされ、武雷命、天津児屋根命、経津主命、姫ノ命、伊邪那美尊、事解男命、速玉男命が祭神として祀られています。拝殿は入母屋、桟瓦葺、平入、桁行4間、本殿は一間社流造、鉄板葺。

阿賀町綱木:上空画像


阿賀町綱木:ストリートビュー
綱木宿
綱木宿:町並み
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