湯殿山碑(福島県下郷町)

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大内宿・湯殿山碑
【 湯殿山碑 】−湯殿山碑(福島県下郷町)は日光側から見ると大内宿の最後尾、浅沼食堂(扇屋分家)の前に建立されています。自然石の片側を平滑にした台座に、同じく自然石の片側を平滑にし、山形の凸を上向きにして「湯殿山」と彫り込まれています。所謂、出羽三山(山形県鶴岡市)の山岳信仰、修験道の一翼を担う「湯殿山」を信仰する石碑で、大内宿の住民の講中が普段手を合わせる為、又は湯殿山の先導が信仰を広める為に建立したと思われます。江戸時代中期以降、一般庶民にも行楽嗜好、遊山などが浸透すると、神社仏閣などに参拝するという名目で日頃の生活を離れ旅をする人々が飛躍的に増大し、それに伴い出羽三山に登拝する人も増え、道中の宿場町も大きく賑いました。登拝の経路は多数ありますが、会津西街道(下野街道)は会津城下と江戸とを最短で結んでいた事から、当街道を利用して会津城下に至り、そこから米沢街道で上山城下(山形県上山市)に至り、そこから羽州街道で山形城下(山形県山形市)に至り、そこから六十里越街道で出羽三山に至ったと思われます。出羽三山の中でも湯殿山は奥之院という位置付けで、羽黒山が現世(現在)を司る聖観世音菩薩を祭り、月山が前世(過去)を司る阿弥陀如来を祭り、湯殿山が来世(未来)を司る大日如来を祭っているとされます。それぞれの山は登拝口の宿坊街が栄える為、所属する数多くの先達達が全国各地で布教を行い、講と呼ばれる宗教団体を設け、先達の案内の下に登拝した事から参拝の経路となる街道沿いの宿場町には案内板を兼ねた石碑が数多く建立されました。その為、大内宿をはじめ、現在でも会津西街道(下野街道)の宿場町には「湯殿山碑」が残されているのを目にします。又、大内宿では修験道に関係が深い、不動明王、役小角、孔雀明王の三仏が祭られている三佛堂や、同じく修験道や山岳信仰である白湯山供養塔が建立されており、住民達の信仰の一端を見る事が出来ます。
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