イザベラバード: 鬼怒川

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鬼怒川:イザベラバード(日本奥地紀行)

鬼怒川(龍王峡)鬼怒川(龍王峡)
鬼怒川(龍王峡)鬼怒川(龍王峡)
鬼怒川(龍王峡)鬼怒川(龍王峡)
【イザベラバード】イザベラバード鬼怒川(龍王峡)を通過したのは明治11年(1878)6月24日、日光を出立して小佐越付近から風景が一辺したようで、鬼怒川を透明感のある透き通った水が様々な色をした岩の間を縫うように流れていると表現しています。そして、高い所に位置し大きく曲がった橋の上から望んだ二荒山など日光連山は大変素晴しい景観だったと感嘆しています。さらに、細かく表現し、両側は斑岩の岩壁で渓谷が構成され、そこに流れる鬼怒川は川幅が狭い所では急流となり、川幅が広い所では川底や両側の岩、木々の緑が影響し、桃色や緑色、青緑色などに見え、太陽光の反射によって光輝き、水しぶきは虹を造り、深い淵ではゆっくりした流れ、鬼怒川沿いの全ての道筋が美しかったそうです(それに対して、道自体は悪路と難所続きで、宿泊した藤原宿の様子や宿には酷評しています)。翌日の6月25日も鬼怒川沿いを北上し、日本でこれ以上に魅力的な所は無いと確信する程の景観を目にします。 複雑な地形は川の流れを何度も遮り、しかし、川は澱む事が無いと思われる程、清らかな流れを保持し光輝き、両側の渓谷は鬱蒼とした木々が緑の壁のように迫ってくるようです。鬼怒川はこのような景観の中、轟音を轟かせながら凄い流れで下流まで流れ落ち、その音は渓谷の岩壁に反射しあい、何倍もの音量となり迫力を増し、さらに、渓谷の隙間からは、遠くの山々の姿が垣間見え、幾筋もの小さな川筋が渓谷をかいして川に向って落ち込む姿を見る事が出来ると表現しています。

【鬼怒川・龍王峡】−鬼怒川は会津西街道と略、並行に流れる清流で、鬼怒沼(奥鬼怒)に源を発し利根川に合流するまで全長176.7キロ、利根川の支流の中で最も長い川とされます。川の名称は当初は「毛野川(毛野河)」、中世に入ると「衣川(衣河)」や「絹川(絹河)」、明治時代以降に「鬼怒川」と表記されるようになっています。龍王峡は鬼怒川温泉と川治温泉の中間に位置し、約3キロに渡り火山岩による渓谷美を見る事が出来、大きく紫竜峡、青竜峡、白竜峡の3区間に分けられ、それぞれ、岩肌の色や形状、構成する岩の種類などで分けられているそうです。龍王峡は約2千2百万年前の海底火山の噴火により噴出された火山岩が冷え固まり、その後隆起して陸地となり鬼怒川の急流によって長い間侵食された事で形成され、至る所で巨石、奇岩、怪石、滝、名勝などが点在し、現在は日光国立公園に指定され、周囲が散策出きるように歩道が整備され観光地としても知られています。

 「会津西街道(下野街道):歴史・伝承・伝説」は「郷土資料辞典」、「日本の城下町」、「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。リンクはフリーですが写真、文章の利用は許可しませんので御理解の程よろしくお願いします。