新地町: 観海堂

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概要・歴史・観光・見所
観海堂(新地町)概要: 案内板によると「学校領布に先立ち、明治5年5月設立された共立小学校。宇多郡・亘理郡長助役であった目黒重真が、明治の新しい時代を迎え「これからは教育が最も大事」という考えにたち、新地方部11カ村の村長や有志に学校設立を呼びかけ、宮城県に対して「宇多郡村学校設置願書」の設立して認められ、仙台藩校養賢堂の教授であった氏家晋(号 閑存)を招き、民家を利用して学校を設立した。この「観海堂」という学校名は氏家晋の命名によるものある。なお、この建物は、平成7年度解体復元を行っているが、その際、梁より「明和6年」(1769)という墨書が発見され、建物が建てられた年代を知る上で重要な証拠となった。今回の復元は、学校設立当初の姿に戻すため、明治初年このの形を復元した。 新地町教育委員会」とあります。観海堂の外見は木造平屋、寄棟、茅葺、平入、外壁は真壁造り土壁鏝押え、元々は亘理伊達氏の家臣旧臣宅で屋根上部には煙出しが入母屋状になっています。観海堂は江戸時代中期に建てられた武家屋敷の遺構で、明治時代以降は教育施設として利用された貴重な遺構として昭和41年(1966)に福島県指定史跡となっています。観海堂は東日本大震災により大破しています。

観海堂:写真

観海堂
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