子眉嶺神社

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概要・歴史・観光・見所

子眉嶺神社(新地町)概要: 子眉嶺神社は福島県相馬郡新地町駒ケ嶺大作に鎮座している神社です。子眉嶺神社は案内板によると「延喜式神名帳所載の奥州一百座名神大社「子眉嶺神社」で通称「奥之相善宮」と称延喜7年(907年)に創建されたと伝えられている藩政時代には仙台候の氏神として社領の寄進社殿の再建修繕等を加えられたが安永8年2月(1779)に野火のため、社殿を焼失焼失し、寛永8年4月(1796)になり駒ケ嶺城主の宮内家によって再建の起工がなされ、文化3年(1806)に完成された。大正7年3月には幣殿付拝殿が造営されている。祭神については都の悲恋にまつわる伝説がある。本社には七不思議と称する銘所銘木があり何れも由来を語る。」とあります。

子眉嶺神社の現在の祭神は豊受比売之命ですが往時は異なっていたようで次ぎのような伝説が伝わっています。地元の神だった夷子別之神は体が大きく優しかった事から誰からも慕われていましたが、顔が異常に長く醜かった為、結婚相手が見つからず困っていました。すると、「白媛神」と称する女神だけが夷子別之神の求愛に応えて結婚しこの地に住むようになりました。

白媛神は美しい姿をしていましたが、全身に白い長い毛で覆われていた為、馬神の化身とされ、馬の飼育方法をこの地に教え、馬の病なども治したそうです。村人達は夷子別之神と白媛神の神意に感謝し子眉嶺神社を創建し2柱を篤く祭ったと伝えられています。

別の伝説によると、平安時代中期に京の都のある姫に縁談話があがると愛馬が暴れ出し、結婚を阻止しました。不思議に思い姫に尋ねると、既に妊娠し相手は愛馬との事、姫は不義の罪から当地に流され馬に良く似た子供を産んだそうです。その子供こそ子眉嶺神で、境内社(羽山社)は姫が祀神で鎮座地は「母山」と呼ばれています。

別の伝説によると、ある母親が子供を産んだところ、顔が馬に余りにも似ていた事から恐ろしくなり子供を谷底に突き落としました。運よく命拾いした子供は猿によって育てられ大人へと成長、その姿を見た村人達は神意を悟り子眉嶺神として祭ったと伝えられています。

子眉嶺神社の創建は不詳ですが、由緒によると大宝2年(702)に仮宮を造営し神霊を勧請したのが始まりとされ延喜7年(907)に改めて社殿が造営されています。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には格式の高い名神大社として記載されています。その後は宇田郡の総鎮守として歴代領主から崇敬されたと思われますが詳細は不詳、特に中世当地を支配した相馬氏は「馬」と関係が深い氏族だった事から篤く庇護されていたと思われます。

戦国時代末期に伊達政宗の侵攻により伊達領になると駒ヶ嶺城には伊達家の家臣である新田氏が配され、正保元年(1644)には富塚重信、享保3年(1718)には宮内定清が城主を歴任、駒ヶ嶺城に近い子眉嶺神社は領内の信仰の中心として歴代城主から庇護の対象となっています。

又、当地は相馬領(中村藩)との境界線が近い事から当主である仙台藩主伊達家からも重要視され社紋には伊達家の家紋が掲げられ、藩費によって社殿営繕工事が行われています。明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て明治8年(1875)に郷社に列しています。

子眉嶺神は馬と関係が深い神として考えられていた事から、民間信仰で馬の守護神である「蒼前様」と同神とされ、「蒼前様」の別称である「勝善」や「相善」とも呼ばれていました。神仏分離令後に社号が「子眉嶺神社」に改められた後も「奥之相善宮」と呼ばれています。

子眉嶺神社本殿は文化3年(1806)に再建された当時のもので一間社流造、銅板葺、外壁は真壁造り板張り、伊達家の家紋が掲げられています。拝殿は大正7年(1918)に造営されたもので木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、桁行3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り、向拝木鼻には象の彫刻が施され、外壁正面中央には「子眉嶺神社」の社号額が掲げられています。

御神水 鏡ケ池概要: 案内板によると「都の姫にまつわる伝説のなかで姫は罪を負い伊勢の二見ケ浦から空舟により流されて、当町の今神浜に漂着した。土地の豪族である糠塚権太夫助けられやがて勝善(相善)の地に住むようになった。姫はここで出産したが、その子があまりにも馬に似ているので権太夫は姫に見せなかった。しかし姫がしきりに見たがるので、姫を丘に立たせ、産児を抱いて池水に映った姿を姫にのぞかせたのです。これを見た姫は驚きと嘆きは大きく、そのまま床について亡くなったしまいました。そのなきがらを葬ったところを母山と名づけたが、後に羽山となっている。御神水として、太古よりいかなる早天にも泉の涸れることがない。本社七不思議のひとつ。」とあります。

子眉嶺神社:上空画像

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典7[福島県]-株式会社人文社
・ 現地案内板(由緒)-子眉嶺神社


子眉嶺神社:ストリートビュー

子眉嶺神社:社殿・境内・写真

子眉嶺神社
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