横川宿(如意輪観音堂)

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横川宿(会津西街道・如意輪観音堂)
【 横川如意輪観音堂 】−横川如意輪観音堂は会津西街道(下野街道)沿いの会津藩横川関所跡に境内を構えています。如意輪観音堂が何時頃から信仰されているのかは判りませんでしたが、天明8年(1788)に記録された御廻国様御通行ニ付御案内帳(宇都宮市旭町在住:赤羽守治家文書)によると当堂と思われる建物として「観音不動堂」と記載されている事から少なくとも江戸時代中期には存在していたと思われます。当然、その頃には会津藩横川関所の施設が現在地に建てられていたと思われる事から、関所が廃止になった際に移築されてきたと思われます。勝手な想像ですが、ここより、数十メートル先に横川宿の鎮守である示現神社(村社・祭神:味耜高彦根命)が鎮座している事から当時は神仏習合し、示現神社の境内にあった御堂が明治時代初頭に発令された神仏分離令に伴い現在に遷されたのかも知れません。又、横川宿の町並みの少し手前の会津西街道(下野街道)沿いにはが流れ、記録上は「観音不動堂」と記載されている事から、水と関係が深い不動明王が滝の近くに祭られていたのかも知れません。現在の横川如意輪観音堂は江戸時代後期に建てられたと推定される建物で、往時は宝形屋根、茅葺だったとされますが、屋根は入母屋、仕上げは鉄板葺きに改変されています。規模は桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、外壁は真壁造り、板張、建築面積7.56u、向拝木鼻には像、欄間には獅子、本屋の蟇股や欄間にも植物や動物の彫刻が施され、極彩色に彩られています。内部を見る事が出来ませんが、案内板によると「内部は、竿縁天井で畳敷き、来向壁には金箔がはられ厨子が安置されている。」とあります。横川如意輪観音堂は江戸時代後期の御堂建築の遺構として貴重なことから平成元年(1989)に日光市指定文化財に指定されています。
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