檜枝岐口留御番所概要: 案内板によると「檜枝岐は、昔は"南山御蔵入り"といって幕府の直轄であった。それはこのあたりが漆ロウソクをつくるロウの主産地であり、また豊富な材木の生産地でもあったためである。そのため幕府の出先きとして番所が設けられこれを"檜枝岐口留御番所"といった。南山御蔵入りの西の口の取り締りは女、ロウ、ウルシ、飢饉の年には食糧の調べも厳重であった。戊辰戦争では人改めも厳重で関所の役目も果した。 檜枝岐村 」とあります。当地は上州と会津を結ぶ街道沿いにあり国境に近い交通の要衝として重要視され天正年間(1573〜1593)には関所と同様な機能を持った施設が設けられ星越後、星備中が関守に命じられていました。江戸時代に入って街道が整備されると正式に口留御番所が設けられ代々星縫殿之助家が管理していました。番所の両脇には街道一杯に木柵で仕切り、中央には木戸を設けて出入りを制限し、木戸の近くには番所の施設が建てられました。明治維新により関所が廃止され番所施設も取り壊されました。
|