高倉神社(祭神:以仁王)

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大内宿の鎮守・高倉神社

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【大内宿:高倉神社】高倉神社(福島県南会津郡下郷町)の創建等は不詳ですが(伝承通りとすると以仁王を当地から逃した直後)、大内宿に伝わる以仁王(後白河天皇第2皇子)の潜行伝説に因み、以仁王の分霊が勧請されたものと思われます。以仁王は平安京での邸宅が高倉小路(三条高倉:京都府京都市中京区)にあった事から三条宮、高倉宮とも呼ばれた為、神仏習合下では高倉大明神として信仰の対象になっていました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が形式上は排除された為、明治3年(1870)に社号を高倉神社に改め、村社に列しました。又、境内は大きく3段に構成され最上段が以仁王が宮、2段目と3段目は家臣の居所だったとされ、大内宿の住民からは「王三段」と呼ばれていたそうです。例祭の「半夏祭り」は当初は以仁王が大内宿に潜行していた5月に行っていましたが、田植えの時期と重なる事から「半夏」の毎年7月2日に変更したそうです。祭りは、塩湯、猿田彦、左大臣、右大臣などに扮し時代衣装を身に付けた約60人の神輿渡御で御獅子や太鼓など厳かな雰囲気で大内宿を練り歩きます。祭神:高倉宮以仁王。配祀:桜木姫。合祀:高倉宮后紅梅御前。又、永代旗頭家として以仁王が大内宿に潜行した際に一行を御世話したと伝わる佐藤家(玉屋)が現在も健在で、以仁王の伝記などを保管しているそうです。

 「会津西街道(下野街道):歴史・伝承・伝説」は「郷土資料辞典」、「日本の城下町」、「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。リンクはフリーですが写真、文章の利用は許可しませんので御理解の程よろしくお願いします。