宝篋印塔(日光市・横川宿)概要: 案内板によると「 この宝篋印塔は、その形態より見て、安土桃山時代の作と推定され、本県内にても数少ないものである。土地の伝説によれば三依という地名の起源となった三依姫の供養塔にて、近傍の墓地には、その墓とされる五輪塔も現存する。三依姫の由来は一切不明であるが、これ丈の供養塔が建立されていることは由緒ある武士の一族であることが考えられる。 日光市教育委員会 」とあります。
三依姫は戦国時代、川崎庄を支配していた塩谷氏の姫君で田島城主長沼氏の嫁いだ際、化粧領として三依郷六ヵ村を持参させました。しかし、長沼氏は当時の将軍足利氏と対立した為、滅亡、さらに実家である塩谷氏も一族の勢力争いによって滅亡しました。姫は自らの領地である三依郷に実を寄せ不遇のまま一生を遂げたと伝えられています。
横川宝篋印塔(2基:塔身・118cm・115cm)は昭和48年(1973)に日光市指定文化財に指定されています。
横川宝篋印塔:上空画像
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