徳昌寺(福島県南会津町田島)

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田島宿(会津西街道・徳昌寺)
【 徳昌寺 】徳昌寺福島県南会津町)は永享7年(1435)、鴫山城の城主長沼政明が長沼家一族の菩提寺として通覚和尚を招いて創建された古寺です。長沼氏は下野国で大きな勢力を誇った小山氏の一族で宗家小山政光の2男である小山宗政が下野国芳賀郡長沼を領した事から地名に因み長沼氏を称したとされます。観応3年(1352)に長沼秀直、又は貞治2年(1363)に長沼憲秀が領地の1つだったと思われる田島に移り住み、鴫山城を築き長く当地を支配しました。徳昌寺はその長沼氏の歴代の菩提寺として庇護され、領内の中心的な寺院として寺運が隆盛しました。天正18年(1590)、豊臣秀吉による奥州仕置きで、長沼氏は小田原参陣を怠った事から改易となり、伊達家の家臣として鴫山城を去った為、庇護者を失いましたが、その後の領主からも一定の庇護を受けました。境内には大名家としては最後の鴫山城の城主となった長沼盛秀の五輪塔(墓碑)の他、長沼氏の家臣だった室井氏(一族の一部が田出宇賀神社の神官)の後裔と思われる室井杢左エ門(田島宿の検断職として会津西街道(下野街道)の日常的な警察権、裁判権を担った)の五輪塔、会津騒動(堀主水事件:会津藩主加藤明成との不仲となり堀主水は会津城に発砲した後に一族を率いて出奔、しかし、明成は討伐部隊を編成し悉く討ち取った。しかし、この事件が幕府に露呈し加藤家は改易となった。主水の妻は数少ない生き残りとされます。)の堀主水の妻(寿林)の五輪塔が建立され、何れも南会津町指定史跡に指定されています。天保15年(1844)に建てられた本堂と文政3年(1820)に建てられた庫裏、安永5年(1776)に建てられた金毘羅堂は国登録有形文化財に登録されています。御蔵入三十三観音霊場第15番札所。
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