伊達政宗(小田原の陣)

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伊達政宗(小田原の陣):概要 当時の米沢城(山形県米沢市)の城主伊達政宗伊達政宗は天正17年(1589)に摺上原の戦いで芦名義広を破った事で、陸奥国の南半分と出羽国の北部を略手中にし、約150万石ともいわれた最大版図を築き芦名氏の居城である会津黒川城(福島県会津若松市)に入りました。芦名氏は2代に渡って早世し、外様である佐竹氏から婿養子を迎える形で義広が当主に就任、まだまだ幼少で家臣も伊達派、佐竹派に別れた対立をまとめる事出来ず、有力家臣だった猪苗代氏の裏切りにより大きく戦力が削がれ戦線の維持が困難となり大敗を喫しました。さらに、天正15年(1587)に豊臣秀吉は関東、東北地方の大名に対し惣無事令を発令し秀吉の命令無しで他領への侵攻を禁止しており、芦名義広の実家である常陸の佐竹氏は律儀にも従った為に表立っての救援が差し向けられず芦名家の敗退の要因となりました。その後も政宗は豊臣家との対立姿勢を強め、同年には須賀川(福島県須賀川市)に侵攻し領主である二階堂氏は佐竹氏を頼り常陸に逃れ、さらに関東の北条家と連携する動きも見せています。

同年、秀吉が北条氏の討伐の為、小田原城(神奈川県小田原市)に大軍を差し向けると政宗にも出陣の要請がありましたが、家臣内も交戦派と恭順派に別れ対立し、天正18年(1590)には交戦派の一部は政宗の弟である伊達小次郎を擁立する動きを見せ、政宗を毒殺未遂が発生、政宗は無事だったものの小次郎は斬首となっています。これには諸説あり、豊臣家への交戦派が政宗で、恭順派が小次郎、このまま秀吉と戦えば敗北必死の状況だった事から政宗の首を土産に小次郎が小田原に参陣する計画だったとも、義祖父にあたる最上義光(山形城の城主)が画策し義光の妹で、政宗の母親である義姫が毒を盛ったとも、小田原遅参が決定的だった事から暗殺未遂事件を政宗がでっち上げ、実は小次郎を出家させ領内に密かに脱出させたなど様々な説があります。

伊達家に小田原参陣の要請がはじめて来たのは天正17年(1589)の12月、翌2月には豊臣家の重臣である浅野長政からの要請があり、3月に参陣を表明するものの4月に上記の暗殺未遂事件が起こっています。その間、小田原周辺では戦闘が開始されており、重臣である片倉景綱などの説得により政宗は5月9日になってようやく会津黒川城から小田原に向けて出立しています(一方で5月14日、家臣である黒木宗元と亘理重宗に命じて相馬氏を攻めています)。当初は最短距離で小田原まで到達出来る会津西街道(下野街道)を南下する予定だったとされ、大内宿まで軍を進めましたが、ここで急遽転進し一端会津黒川城に引き戻り、米沢街道(会津街道)を利用し米沢城に入り小国から越後街道(米沢街道)で上杉領に入り信濃から小田原に向かっています。

引き連れた家臣は片倉景綱や大内定綱等20名余りで大内宿小田原に着陣したのは6月5日、会津からは約1ヵ月の行程となり、途中に妨害があったのかは不詳ですが時系列からみると、予想以上に時間がかかっています(小田原の陣が集結したのが7月ですからいかに遅参したのかが解ります。又、政宗は当初は秀吉から面会を拒絶され箱根の底倉で謹慎となり前田利家のとりなしの上で謁見を許されています。既に交渉役だった利家とは友好関係で、尋問は利家等が主体で行われた事からかなり手心が加えられたと思われます)。


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何故、大内宿で転進したのかは不詳ですが会津西街道(下野街道)の要衝である鴨山城(南会津町田島)の城主長沼氏は伊達家に従ったものの、芦名氏に従い今尚交戦状態だった河原田氏は3月に長沼氏と交戦し不安定な状況で、南関東は芦名氏の実家である佐竹氏の勢力下にあったなどが挙げられますが、その程度の事は事前に知っていたとも思われ謎とされています。「伊達治家記録」には「・・・・・直二参陣セラルヘシト会津ノ大地(現在の大内宿)ト云所マデ御出アリ、然二関東ノ諸城悉ク小田原(小田原北条氏)ニ相属シ、処々相抱へ、通路叶ハサル由聞セラレ、大地(現在の大内宿)ヨリ黒川城(現在の会津若松城)ニ御帰り・・・・・」と記載されている事から大内宿に着陣した際、ここより先(関東地方)は小田原北条氏に与する城(大名)が殆どなので通行する事は難しいと聞かされ転進したと思われます。結果的に伊達政宗は小田原に大幅に遅参し、惣無事令違反が咎められ、南奥州は取り上げられ再び米沢城72万石に減封、さらに葛西・大崎一揆の不手際により岩出山城(宮城県大崎市岩出山町)58万石に減封されています。

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