塚原ヒサの像(東山温泉・会津若松市)概要: 塚原ヒサは江戸時代後期の弘化3年(1846)に鶴ヶ城の城下町にあった材木町の清美川の造酒屋(詳細不詳。会津藩直営の醸造試験場関係の造酒屋の事?)の長女として生まれ、鶴ヶ城(会津若松城)の奥女中を務めていました。明治元年(1868)、鶴ヶ城が戊辰戦争(会津戦争)で敗戦し落城した時は21歳で明治維新後に塚原呉服店に嫁ました。ヒサは呉服店の嫁として商才を遺憾無く発揮し、店の基礎を築き大きく繁盛するようになりました。特に東山温泉には何度も商売で出入りし、正月には商売相手である芸妓達を料亭に集めて宴を開いたそうです。この像は2代目塚原嘉吉がヒサの功績を讃え隠居所に近い現在地に建立したものです。
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