長禄寺(須賀川市)概要: 広福山長禄寺は福島県須賀川市北町に境内を構えている曹洞宗の寺院です。長禄寺の創建は長禄元年(1457)に当時の須賀川城主二階堂為氏が一族を弔う為に開基となり月窓和尚(室町時代の曹洞宗の高僧、最乗寺開山の春屋宗能に師事し越後の観音寺を開山)を招いて開山したのが始まりとされます。
長禄4年(1460)、後花園天皇の勅願寺となった事から寺勢が増し、全盛時には末寺が130を越え寺領1千石が安堵されていました。天正17年(1589)に二階堂氏が伊達政宗に攻められ、須賀川城が落城し長禄寺も類焼、その後再興され文禄年間(1592〜1596年)に現地に移っていきます。
大乗院は伊達家から二階堂家に嫁ぎ伊達政宗からみると叔母にあたる人物で、須賀川城落城の折助け出されますが、伊達家とは不仲で、水戸の佐竹氏の庇護となりました。
慶長5年(1600)、関ヶ原の合戦で佐竹氏が中立を保った事で久保田藩へ移封となり大乗院も随行しましたが、途中に病にかかり須賀川の長禄寺境内の仮宿で養生し、慶長7年(1602)6月に息を引き取り、境内には墓碑が建立されています。二階堂一族は久保田藩では佐竹一族である芦名氏に従い角館(秋田県仙北市角館町)に配され、學法寺を菩提寺としています。
江戸時代初期に須賀川城の城主となった蒲生郷成の菩提寺となり境内には郷成の墓と伝わる五輪塔が建立されています。蒲生郷成は会津城主蒲生氏郷の家臣で守山城・三春城・須賀川城の城主を歴任、キリシタン大名だった氏郷に感化されキリシタンだったとも云われています。往時は家臣ながら4万5千石を領していましたが、同じ蒲生家の家臣岡重政との政争に敗れ出奔しています。
長禄寺山門は入母屋、本瓦葺、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚楼門、外壁は真壁造り板張り、下層部左右には仁王像が安置されています。長禄寺本堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺、平入、桁行8間、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、腰壁は縦板張り、内部の内陣には本尊である釈迦如来像が安置されています。山号:広福山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。
長禄寺:上空画像
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