三春町: 州伝寺

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概要・歴史・観光・見所
州伝寺(三春町)概要: 案内板によると「江戸時代初期の三春城主松下長綱(在城寛永5年〜21年)が、父重綱を開基として建立した松下家の菩提寺です。山号は少年期の豊臣秀吉を養った祖父加兵衛之綱の法号天翁長珊(てんのうちょうさん)に、寺号は重綱の法号州伝寺殿にちなみます。本堂の左上には重綱・長綱・豊綱三代の墓があり、町の史跡に指定しています。本堂の阿弥陀如来坐像は、高さ2.3の所謂丈六仏で、町重要文化財に指定しています。境内の一時地蔵尊は子育て地蔵として信仰をあつめ、8月24日の地蔵盆が縁日です。 三春町教育委員会」とあります。

天翁山州伝寺は福島県田村郡三春町字新町に境内を構えている曹洞宗の寺院です。州伝寺の創建は、寛永4年(1627)に二本松藩主松下重綱が死去した事に伴い、跡を継いだ松下長綱が父親の菩提を弔う為に開かれたのが始まりとされます(山号が重綱の父親である松下之綱の戒名「綱元院殿天翁長珊大居士」に因むものである事から、前身寺院が存在していたかも知れません)。寺号は重綱の戒名「州伝院長厳長洋大居士」に因むもので、当初は藩庁が置かれた二本松城(福島県二本松市)の城下町に境内を構えていました。

寛永5年(1628)に長綱の三春藩移封に伴い、州伝寺も三春城の城下町に移されましたが、寛永21年(1644)に長綱が改易になった為、庇護者を失いました。しかし、その後に三春藩主となった秋田氏からも庇護を受け「東北の禅修業道場」と呼ばれるなど寺運が隆盛しました。宗派:曹洞宗。本尊:阿弥陀如来。

松下氏概要: 松下氏は宇多源氏佐々木氏庶流とされ、当初は今川家の家臣飯尾氏に従属して遠江国にあった頭陀寺城を負かされていました。之綱の代になると今川家が滅び、徳川家、豊臣家と主君を変え次第に禄も加増され遠江久野1万6千石の大名となりました。重綱の代では関ヶ原の戦い、大坂の陣と東軍に組したため、石高も常陸小張1万6千石から下野烏山2万石、二本松5万石と加増されていきました。

特に重綱の正室が加藤嘉明の娘だった事で加藤家の与力大名として地位を確立していきます。重綱が死去した後は長綱が二本松藩を継ぎましたが寛永5年(1628)に若輩であるという理由で三春藩3万石に減封され、三春城の改築や城下町の建設など積極的に行いますが、寛永21年(1644)には乱心を理由に改易となっています。

実際は先代から加藤家の与力大名化していた為、加藤明成が会津藩40万石を改易となり跡を継いだ明友が石見吉永藩1万石(最終的に水口藩2万石)へ減封、一族が改易となっている中連座的な意味合いが強いと言われています。特に加藤家先代の嘉明は賤ヶ岳七本槍の1人に数えられる豊臣恩顧の大名として幕府から敵視され、松下家も豊臣家縁の大名として見られていたようです。改易になった長綱は土佐藩に預けられ、二男長光が寄合旗本として松下家の家名は後年まで存続しました。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-三春町教育委員会

州伝寺:写真

州伝寺
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