三春町: 真照寺

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概要・歴史・観光・見所

真照寺(三春町)概要: 日乗山真照寺は福島県田村郡三春町新町に境内を構える真言宗智山派の寺院です。真照寺は案内板によると「寛喜3年(1231)年、意教上人の開山と伝えられる古刹で、安東(藤)氏の祈願所で古四王の別当である。真照寺は、正保2(1645)年秋田俊季の奥州三春移封の際、常陸宍戸(茨城県友部町)に残ったが、慶安3(1650)年三春2代藩主盛季(俊季の子)によって古四王とともに三春に遷された。本尊不動明王立像は秋田より選ばれたと伝える。盛季寄進になる帝釈天立像、四天王立像、物画等江戸初期の優品が多い。本堂左手の古四王堂は、正徳2(1712)年の再建であり、気品ある木組みがすばらしく、三春町の寺院建造物の代表的なもののひとつである。仏像・仏画・古四王堂など見張る町指定の重要文化財が多く、本堂左奥には水芭蕉の群生地があり、水芭蕉の咲く寺として知られる。 三春町教育委員会」とあります。

真照寺古四王堂は、江戸時代中期の正徳2年(1712)に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、鉄板葺き、平入、桁行3間、張間2間半、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り、江戸時代中期の御堂建築(形状は神社の拝殿に類似)の遺構として貴重な事から棟札一枚と共に昭和39年(1964)に三春町指定文化財(建造物)に指定されています(古四王堂は三春城が正面(真南)になるように配されているようです)。

真照寺本堂は木造平屋建て、寄棟、鉄板葺き、平入、桁行9間、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、正面中央には「真照寺」の寺号額が掲げられています。真照寺山門は切妻、銅板葺き、一間一戸、薬医門。山号:日乗山。宗派:真言宗智山派。本尊:不動明王。

古四王信仰は日本海側に多く、特に秋田市寺内にある古四王神社は古代城柵である秋田城の四天王寺や越(古代北陸地方の呼称)王が祭られている神社として考えられています。日本海沿岸部に影響力を持っていた秋田氏にとって常に信仰の対象となっていたいたようで、居城であった湊城(秋田市土崎)も古代の城柵である秋田城に近く、戦国時代後期には律令制度で秋田城を専管した国司の別称である秋田城介を秋田氏が名乗る事で権威付けをしたとされます。

又、秋田氏の拠点の1つだった檜山城(能代市檜山)付近にも古四王神社(現在は檜山神社)があり崇敬の深さを感じます。秋田氏は俘囚長の「安倍貞任」や四道将軍の「大彦命」、天皇家と敵対した長髄彦の兄とされる「安日彦」を祖と自称する氏族で、古四王神社の祭神が「大彦命」である事から祖神として篤く信仰したと思われます。一方、秋田氏の出身地である津軽地方には古四王神社の痕跡が見られず、秋田に進出してから信仰の対象になったようです。

真照寺の文化財
・ 古四王堂(附:棟札)-正徳2年-入母屋、鉄板葺−三春町指定文化財
・ 木造不動明王立像−鎌倉末期から室町時代−三春町指定文化財
・ 木造帝釈天立像−江戸時代初期−三春町指定文化財
・ 木造四天王立像−江戸時代初期−三春町指定文化財
・ 木造聖徳太子立像−室町時代末期−三春町指定文化財
・ 十二天図−江戸時代初期−三春町指定文化財
・ 八大祖師図−江戸時代初期−三春町指定文化財
・ 四種護摩口伝写−保元2年(1157)−三春町指定文化財
・ 大師御口決−建武4年(1337)−三春町指定文化財
・ 瑜祇経口伝−応安5年(1372)−三春町指定文化財
・ 三宝院伝法潅頂私記写−宝暦10年(1760)−三春町指定文化財

真照寺:上空画像

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(古四王別当)-日乗山真照寺
・ 現地案内板-三春町教育委員会


真照寺:ストリートビュー

真照寺:写真

真照寺参道石段から見上げた山門
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真照寺山門越に見える本堂と庫裏 真照寺境内に生える植栽越に見える本堂 真照寺古四王堂向拝越に見える本堂とその前に設けられている宝篋印塔 真照寺古四王堂正面とその前の宝篋印塔と石造多重石塔


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