三春町: 龍穏院

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概要・歴史・観光・見所

龍穏院(三春町)概要: 龍穏院は福島県田村郡三春町荒町に境内を構えている曹洞宗の寺院です。龍穏院は案内板によると「 三春藩初代俊季の祖父安東愛季の法名を寺号とする秋田氏の菩提寺で、秋田氏の三春移封にともない現在の場所に移った。本堂内に、秋田氏累代の位牌を納めるお堂があり、本堂裏手の墓地には、愛季・8代長季(謐季)の墓、秋田氏尊霊塔がある。この地、江戸時代後期から江戸時代後期から明治時代にかけて活躍した画家徳田研山・中村寛亭等、三春を代表する文化人の墓がある。戊辰戦争時には傷病兵の病院にあてられたり、明治時代には自由民権運動の演説会場にもなった。本堂は天明5(1785)年の大火の後に再建されたもので、三問の扁額は7代倩季の書である。 三春町教育委員会」とあります。

龍穏院の前身は秋田氏(安東氏)の旧領である能代市檜山にあった国清寺であるされ、秋田氏が常陸宍戸(茨城県笠間市)に移封されると檜山系安東氏の第5代当主安東忠季の菩提寺である国清寺と檜山系安東氏の第4代当主安東政季の菩提寺である長亨寺を合わせた龍穏院を開基しました。

安東氏は室町時代に檜山城(秋田県能代市檜山)を拠点とする下国家と、湊城(秋田県秋田市土崎)を拠点とした上国家の2家が存在していましたが、戦国時代に下国家出身の安東愛季が上国家から嫁を迎える事で統一を果たし、下国家系の菩提寺が龍穏院、上国家系の菩提寺が高乾院とされます。現在でも常陸宍戸には龍穏院と高乾院の後継寺院が境内を構えています。寺号は愛季の戒名である「龍隠院殿萬郷生鐵大禅定門」を由来しています。

龍穏院本堂は江戸時代中期に建てられた古建築物で、木造平屋建て、寄棟、銅板葺き、平入、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り、花頭窓付、桁行き14間、梁間7間半の大きさは三春地方最大級です。正面の唐破風や玄関上部の欄間、像鼻などには細かい彫刻が施されていて、大名の菩提寺として堂々たる建物です。

本堂の裏手には四代藩主頼季の建てた秋田家尊霊塔があり、高乾院の秋田家累代の墓域とは異なる雰囲気をもっています。山門は切妻、銅板葺き、一間一戸、薬医門。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。

龍穏院の文化財
・ 龍穏院の姫駕籠−江戸時代後期−三春町指定文化財
・ 秋田氏の墓−江戸時代−三春町指定史跡

龍穏院:上空画像

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-三春町教育委員会


龍穏院:ストリートビュー

龍穏院:写真

龍穏院
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龍穏院 龍穏院 龍穏院 龍穏院


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