福聚寺(三春町)概要: 慧雲山福聚寺は福島県田村郡三春町字御免町に境内を構えている臨済宗妙心寺派の寺院です。福聚寺は案内板によると「暦応2(1339)年、田村輝定により安積郡八丁目(現在の郡山市日和田町)に創建された田村家の菩提寺で、16世紀初めに田村義顕が三春へ居城を移すのに際して、ここは移りました。寺の裏手の高台に、田村義顕・隆顕・清顕の墓があり、街の史跡に指定しています。また、隆顕と清顕が2代に渡って寺に出した田村氏掟書は、福島県の指定文化財です。ほかにも、田村三十三観音の第2番札所となる木造十一面観音像や、戦国時代の画僧雪村周継筆の達磨図など、多くの文化財を所蔵します。 三春町教育委員会」とあります。
福聚寺の創建は南北朝時代の暦応2年(1339)に田村輝定が開基となり復庵宗己を招いて開山したと伝えられています。寺号は輝定の戒名「ゅレ寺殿輝山定公大禪定門」に起因するもので、歴代田村家の菩提寺となりました。当初は安積郡福原に境内を構えていましたが室町時代後期の永正元年(1504)に田村義顕が本城を守山城から三春城に遷った際、福聚寺も随行し現在地に堂宇が造営されています。
田村隆顕、田村清顕の時代に田村家の最盛期を迎え概ね10万石程度を領しており福聚寺には掟書を発布し保護に努めています。
現在の福聚寺本堂(寄棟、鉄板葺、平入、桁行8間)は天明5年(1785)に焼失後の寛政12年(1800)に建てられた古建築物で文化財指定こそありませんが落ち着いた雰囲気で、境内も整備され桜の名所となっています。山門は切妻、本瓦葺き、一間一戸、薬医門。観音堂は木造平屋建て、宝形造、銅板葺き、桁行3間、張間3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造板張り、向拝には精緻な彫刻が施されています。
福聚寺を菩提寺とした田村氏は坂上田村麻呂の子孫とされ、三春城を居城として勢力を伸ばし戦国末期には田村郡中心に安積郡や岩瀬郡の一部も支配下に入れ、9万石を領していました。豊臣秀吉の小田原の陣に参加しなかった事から改易されますが、伊達政宗の正室(愛姫)が田村家から出た事もあり伊達家の家臣として一関藩(岩手県一関市)を興しています。
田村三十三観音霊場第2番札所(札所本尊:十一面観音菩薩)。山号:慧雲山。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:釈迦如来。
福聚寺の文化財
・ 雪村周継筆達磨図(附:雪村庵関係文書2通)-室町末期-三春町指定文化財
・ 復庵宗己頂相−室町時代−三春町指定文化財
・ 木造十一面観音像−室町時代−三春町指定文化財
・ 物外紹播墨跡−江戸時代初期−三春町指定文化財
・ 一元紹碩墨跡−江戸時代初期−三春町指定文化財
・ 福聚寺所蔵印證−天正5年(1577)−三春町指定文化財
・ 田村氏掟書(2軸,附:大般若経)-弘治3・永禄2・天正10年-福島県指定文化財
・ 田村氏三代の墓−三春町指定史跡
福聚寺:上空画像
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