喜多方市: 佐原義連の墓

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概要・歴史・観光・見所
佐原義連の墓(喜多方市)概要: 佐原義連の墓は福島県喜多方市熱塩加納町宮川字墓の西に位置しています。佐原義連は相模国の豪族である三浦義明の子供として生まれ、佐原城(現在の神奈川県横須賀市佐原)に配された事から地名に因み「佐原」姓を名乗りました。平安時代末期に発生した源平合戦で源頼朝に従い大功を挙げた事で有力御家人としての立場を確立し、文治5年(1189)の奥州合戦でも従軍、会津四郡を与えられたとされます。死没年には建久3年(1192)75歳説、建仁3年(1203)78歳説、承久3年(1221)82歳と諸説あり、会津で没したかどうかも判りません。しかし、後裔は会津を本拠として南奥羽や越前国の一部まで支配下とした大大名芦名氏として当地に君臨しています。

芦名氏は天正18年(1589)に発生した摺上原の戦いで伊達政宗に敗れ常陸国(現在の茨城県)に逃れた事で、一族の墓碑は判らなくなりましたが、寛文8年(1668)に会津藩(藩庁:鶴ヶ城)初代藩主保科正之が家臣である山崎闇斎に命じて調査させ、その結果を受け元禄8年(1695)、3代藩主松平正容によって「佐原義連ノ碑」が建立され会津藩の保護の対象となりました。会津藩によって佐原義連の墓に比定された宝篋印塔は高さ2.3m、塔身には四方仏の種子が刻まれ、形状から室町時代に建立されたと推定されています。佐原義連は諸説あるものの鎌倉時代初期に死没した事から、この宝篋印塔を義連のものとするならば、後裔である芦名氏一族が祖である義連の供養塔として建立した事になります。伝佐原義連の墓は貴重な事から昭和31年(1956)に福島県指定史跡に指定されています。

佐原義連の墓:写真

佐原義連の墓
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