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猪苗代湖:町並み

[ 猪苗代湖 ]
猪苗代町概要: 猪苗代町の歴史は古く町内に点在する林口遺跡や登戸遺跡など旧石器時代や縄文時代の遺跡があることから当時から人々の営みが行われていたことがわかります。鎌倉時代に入ると佐原氏(後、芦名氏)が会津4郡の領主となり猪苗代町周辺は大炊介経連(後、猪苗代氏)が配され、亀ヶ城(猪苗代城)を居城としました。猪苗代氏の支配は14代まで続きますが天正17年(1589)「摺上原の戦い」で芦名氏が伊達勢に敗退したことによりで終わりを告げます。戦国末期から江戸時代初期までは、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏など次々と領主が交代し寛永20年(1643)に保科正之(後、松平氏)が会津藩主に任命されると明治維新まで、保科、松平家が代々藩主となります。猪苗代町は鶴ヶ城(会津若松城)と奥州街道の本宮宿を結ぶ二本松街道の宿場町だけでなく初代藩主正之を祀った土津神社があり、軍事上、政治上で重要視されました。その為一国一城令が出されて以降も亀ヶ城(猪苗代城)は城として認められ周囲からの中心的な町として発展しました。戊辰戦争では会津藩の戦略的拠点の1つとなりましたが新政府軍に攻め込まれ城代が城を焼き払って鶴ヶ城(会津若松城)へ撤退しています。又、猪苗代町は野口英世博士が生まれた町としても知られ、生家は資料館に移築保存されています。
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