伊達市: 霊山神社

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概要・歴史・観光・見所
霊山神社(伊達市)概要: 霊山神社の創建は明治14年(1881)に南北朝時代に霊山一帯を本拠とした北畠親房(大納言)・北畠顕家(鎮守府大将軍・陸奥大介)・北畠顕信(鎮守府将軍・陸奥介)・北畠守親(大納言・陸奥国司)を祭神としたのが始まりとされています。明治18年(1885)に別格官幣社にれせられ建武中興十五社の一社とされています。鎮座地は霊山城の支城古屋館があった場所で、文化14年(1817)には松平定信が霊山碑を建立した事もあって明治元年(1868)には中山雪堂(米沢藩の儒者)や西尾元詢(医師)などが南北朝時代に後醍醐天皇方である南朝の為に尽力した北畠家を祭る神社の創立運動が起り、明治9年(1876)の明治天皇の東北巡幸した際に鎮座地が決定し、明治13年(1880)に社殿が造営されました。神門(神社山門)は切妻、鉄板葺、三間一戸、四脚門。拝殿は入母屋、鉄板葺、妻入、正面3間向拝付。本殿は三間社流造、鉄板葺。神官は旧会津藩の筆頭家老西郷頼母が勤めました。北畠顕家は建武の新政で功があった事から陸奥の国司となり南北朝時代には南朝側の代表する武将として奥羽地方の南朝側の中心として支配を固めた人物です。顕家は建武4年(1337)には国府を多賀城(宮城県多賀城市)から霊山に移し陸奥国の中心となりましたが、暦応元年(1338)に和泉石津合戦に戦死すると弟の顕信、嫡子の守親が陸奥国司を歴任しています。その後は北朝側の足利軍に攻められ落城、3600坊あったとされる霊山寺も荒廃していきます。

霊山神社:写真

霊山神社
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