会津ころり三観音

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鳥追観音
鳥追観音(如法寺)
如法寺
鳥追観音は天平8年(736)に行基(奈良時代の高僧、東大寺「四聖」、日本最初の大僧正)が会津に仏教を広める為に訪れた際、余りにも空腹で寝る所も無く彷徨っていると、身なりの貧しい農夫が粗末ながらも心温まる持成しと宿を貸してくださいました。行基が農夫に話を聞くと、鳥や獣が田圃や畑を荒らす為、毎年不作が続き、子宝にも恵まれない事を聞き及びました。行基は一宿一飯の恩義を感じ、鳥獣退散と子宝に御利益がある鳥追観音を授けこの地を去っていったと伝えられています。その後、徳一上人が鳥追観音を胎内仏とする観音像(木造聖観音立像:福島県指定文化財)を本尊とする如法寺を創建、会津地方の西方にあたる事から「西方極楽浄土」の寺院として整備され、現在でも観音堂(福島県指定文化財)は東から入り西から出る特別な構造を踏襲しています。現在でも西方極楽浄土へ 「ころり」 と導くとの信仰から会津ころり三観音の一つに数えられています。会津三十三観音霊場番外別格総結願所。会津六詣出
立木観音
立木観音(恵隆寺)
恵隆寺
恵隆寺は欽明天皇元年(540)に中国の南北朝時代に江南に存在した「梁」出身の高僧である青岩が阿賀野川を遡り当地を訪れた際、高寺山を聖地と悟り、山頂に境内を設けて創建したと伝わる高寺の後継寺院とされます。高寺は謎の多い古代寺院で、最盛期には堂舎子院三千余宇に及だとされますが、宝亀6年(775)兵火により衰微したそうです。その後、再興され、今度は三十六坊が高寺山に設けられ再び隆盛するも、大同2年(807)に徳一上人が恵日寺を創建すると、会津仏教の中心を巡る争いが発生し再び衰微したそうです。平安時代末期に発生した源平の争乱によりさらに衰微し、鎌倉時代初期の建久元年(1190)に事実上廃寺になったとされます。その後、恵隆寺として再興され、その際、本堂として造営された観音堂と本尊として彫刻されたのが木造千手観音立像で何れも国指定重要文化財に指定されています。観音堂の「だきつき柱」に抱き着き本尊を見つめて祈願するとコロリと念願成就する信仰から、会津ころり三観音の一つに数えられています。会津三十三観音霊場第31番札所。会津六詣出。会津二十一地蔵霊場第15番札所。
中田観音
中田観音(弘安寺)
弘安寺
弘安寺は鎌倉時代に当地の長者だった江川常俊が法用寺で子宝祈願を行い授かった常姫を富塚盛勝との恋の病で亡くなり、その菩提を慰める為に十一面観世音菩薩立像を安置した事が始まりとされます。その後、常俊は十一面観世音菩薩立像を本尊とする圓通閣と呼ばれる観音堂を造営、さらに弘安2年(1279)、盛勝が厳知和尚を招いて寺院として整備し弘安寺を開き盛勝の菩提寺となりました。弘安寺は野口英世の母シカが篤く信仰した寺院としても知られ、英世が手を火鉢で火傷した時には平癒、医学を志すと学問成就や立身出世を祈願し毎月17日の月詣りを欠かさなかったとされます。旧観音堂厨子と本尊である十一面観世音菩薩立像、脇侍である地蔵菩薩立像と不動明王立像は国指定重要文化財に指定されています。本尊は基本的に秘仏で、1月1〜3日、6月1〜30日、8月9〜10日、11月1〜10日の大祭や例祭には御開帳になります。観音堂の右側の太い柱は「抱きつき柱」と呼ばれ、この柱に抱き着き祈願すればコロリとあの世に行けるとの信仰から、会津ころり三観音の一つに数えられています。会津三十三観音霊場第30番札所。会津六詣出。会津十二薬師霊場第9番札所。


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